ご挨拶GREETING
こんにちは。
平成6年に名古屋から旧高鷲村に引っ越してもう30年近くなります。早いですね。
自分が医者になった頃の夢がどこまでかなえられたのだろうと、よく考えるようになりました。
子供の頃は宇宙飛行士が夢でした。小学5年生の頃は名古屋科学館星の会に入り、休みは一日中ひとりで科学館を楽しんでいました。 高校になり中東の難民キャンプで働きたいなと考えるようになりましたが、当時「無医村」という言葉があったのを覚えてみえるでしょうか、国内に無医村があるのにそれを無視して中東に行くのは無責任ではないかと思い、愛知県から自治医科大学に入学しました。
自治医科大学は学費が免除される代わりに、出身県の支持するへき地に赴任する義務があります。私も愛知県の三河地方で、学生時代から検診や地域医療を経験することができました。
また、当時先進的と言われていた岩手県沢内村、長野県佐久総合病院、岐阜県の上矢作町、和良村の病院にも泊まり込みで研修に行きました。 当時家庭医療学研究会など学術組織もでき、欧米並みの家庭医専門医が地域医療の中心になるのではないかと期待し、夢を持っていました。
あれから40年近く経ちました。
さて、何が変わったでしょうか。 実は、ほとんど変わっていない、というのが私の思いです。それどころか逆に地域が見えにくくなっているとすら感じます。働く女性が増えたこともあり、在宅で療養する高齢者が福祉施設などを利用するようになりました。
私が医師になった頃は往診が多かったのですが、今は往診患者が減りました。在宅で亡くなる方も減りました。通院患者さんも交通手段の発達に伴って、近くの何でも屋より、遠くの専門医を求めるようになりました。
医師だけではありません。私にとって印象深いのは保健師(保健婦さん)の変化です。 以前は、患者さんのお宅の冷蔵庫を勝手に開けて生活指導ができるようになって一人前、と言われるほど、太っ腹母さんのイメージがありました。 今はケアマネなどに仕事を譲り、特殊な分野で専門職として働かれている印象です。
私がクリニックを開業したのは、このような時代の流れを感じた上で、私の人生の最後のチャンスとして自分なりの地域医療をチャレンジしてみようと思ったからです。
地域に住みついて、地域住民との信頼関係が築けたら、どんな医療になるだろう?
残念ながら私の試みは道半ばです。良しと思うところもあれば、否と感じるところもあります。しかし歳を重ねることによってそれなりの「おもしろい医療の場」が増えてきているのは確かです。専門性だけではない、隣近所の人とつながった上での医療のおもしろさを、これからも探していきたいと思っています。
私の診療の背景となる考え
地域での医療
人と人とのつながりの中で
病気は人を弱気にさせ、希望を失わせ、時には自分を責めることもあります。そんな時に近くに信頼できる医師がいるというのは心強いことではないでしょうか。
技術力があれば信頼は関係ないという人もいますが、では行きつけの飲み屋はどう説明するのでしょう。
お酒が同じならどの店でもいいですか? やはり馴染みのマスターがいる店が安心に飲めますね。
医療でも、お互いの人生、価値観を理解しあった上で、相談しながらベストな道を選んでいくのが望ましいと思います。
医療の世界との接点
高度医療への入り口
専門医と地域の医師
地元にどんな医療機関が欲しいですかとアンケートを取ると、総合病院がほしいという答えがトップになるそうです。 何でもかんでも専門医に診てもらいたいという気持ちの表れでしょう。小さなクリニックの医師よりも専門医の方が信頼できるのでしょうね。 一人の専門医に対して信頼するというより、他の専門医が近くにいるとか、高度な検査ができるとか、そのようなことも含めて総合病院が期待されているのだと思います。
もちろん高鷲町に総合病院は無理です。医師一人のクリニックがせいぜいです。ですが、機能的には総合病院と同じような働きをすることができます。 つまりクリニックを入り口として、ドラえもんのどこでもドアのようにそこから岐阜市なり名古屋市の総合病院に飛んでいければいいわけです。 たとえるなら、皆さんのもっているスマホです。スマホは小さなコンピュータですが、ネットで繋がることでグーグルなどの巨大なコンピュータの世界に入ることができます。 まさしく身近なクリニックが手持ちのスマホのような働きをするのです。
できれば患者さんの弁護士(代理人)になりたい
裁判を受けるときは弁護士を依頼しますね。それは専門的な知識や言葉が必要になるからです。 では医療ではどうでしょうか。
専門医の話や治療内容がちゃんと理解できますか?
自分の病気の経歴や問題点を正しく適切に自己紹介できますか?
そういった時に、地元のクリニックの医師が役に立ちます。患者さんの過去の履歴をまとめ、今の病気に関連する情報を適切に専門医に紹介することができます。 専門医の考えや治療方針を皆さんに理解できるような言葉で解説することもできます。
さらに大切なことは、皆さんの価値観、人生観を、皆さんに代わって専門医に伝えることができます。専門医に言いたいことがあってもなかなか言い出せないことがありますね。そのような時にクリニックの医師に相談することによって、皆さんに代って気持ちを伝えてくれます。より正しく意思を着検査や治療に反映させることができます。まるで弁護士のようですね。専門医療という見知らぬ世界で患者さんが迷子になってしまわないように、地元の医師はずっと付き添ってくれます。
逆に専門医から見ると、クリニックの医師と連携することで患者さんの全体像を理解することができ、治療方針が徹底され、早く地元にかえしても安心してフォローすることができます。
行動的な患者さんが自分の判断であちらこちらの専門病院を受診されている姿を見受けます。若い時に単発的な病気の場合はそれでもいいのですが、慢性的な病気となると行き来も大変、情報が混乱し、医師の治療方針もバラバラで、結局患者さんが途方に暮れてしまうこともあるようです。ぜひクリニックを入り口として、専門医療の世界をスムーズに利用されることをお勧めします。
地元の医療福祉資源を活用できる。
もうひとつ大切なことは、地元のクリニックを利用することで、地域の医療や福祉サービスの利用がスムーズになります。高齢化社会の病気は治ったらそれで終わりということは少なくなっています。継続的にリハビリを受けるとか、福祉サービスを利用するとか、訪問看護を受けるとか、様々なシステムの利用が必要になってきます。クリニックを入り口とすることで、総合病院にいる時から地元のサービスの調整が可能になります。
患者さんの土俵で相撲を取る
これは医師から見た表現であまりいい言葉ではないのですが、地域では患者さんの都合に合わせて医療を行うということです。入院医療では患者さんは生活から離れ、自由を奪われ実験室のような環境で治療専念します。医師も仕事がしやすい。しかし地域ではそれこそ薬を飲むのも自由、食事も自由、人によっては受診も自由ということになります。医師から見ると地域で仕事をすることこそ本当に大変だと思います。
病気が花咲く前に診断
地域の医者が不当に低く見られている原因の一つとして、地域の医者は病気の初期を診断し、後方病院の専門医は花咲いた姿を見て診断するということがあります。芽が出たばかりの草木を見せられて(十分な検査機器もなく)診断するのは大変ですよね。あとから診る医師の方が的確な診断をするというのは、このことを考えれば当然のことです。ですから地域の医師が力量不足だと早計に判断しないでくださいね。
身近に、気軽に
お互い顔見知りだし、地理的にも近い
気軽に受診してください。夕方は予約制なのであまり待ち時間を心配することはありません。いつもかかっている人ならオンライン診療ができますし、簡単な相談ならメール(SMSも)などを利用していただいても結構です。
世界中の最新の知見を目の前の患者さんに
研究とは逆の向きになりました。
以前は地域医療の研究を行って世界に情報を発信しようと意気込んでいました。研究は日々の診療の良き反省となります。 しかし関連文献を読んだり議論したり、発表したりする時間もずいぶんかかってしまいます。 毎日新しい問題が持ち込まれる診療を行いながら、自分の納得のいく研究を行うことはとてもできませんでした。 そのかわり、世界中の研究成果を目の前の患者さんのために集めることが楽しくなってきました。 私の同期にも研究者がいますが、彼らが苦労して見出した知見を、ペコっと頭を下げて利用させてもらっています。
独りよがりの医療にならないように。
研究は多くの人に批判されてより良いものになっていきます。 私が田舎で開業することでもっとも心配だったことの一つは、自分の診療が独りよがりになってしまわないかということです。 私の診療を直接他の医者が見て批判してくれるわけではありません。 患者さんに良かれと思って診療していても、いつの間にか知識が古くなったり偏ったりしているかもしれません。 そもそも私の診療に不満がある患者さんは来なくなりますので、自分の診療の良し悪しの判断がとてもしづらくなります。
幸い最近はネットで情報を得ることができますし、学会の様子もネット動画で確認できるようになりました。今後の課題は、幅広い分野の知識を随時更新するための時間をどう作るか。そして後方病院との連携を通じて、自分の診療を評価してもらえるシステムをどうやって作るかということです。コロナ禍でオンライン診療がクローズアップされてきました。これを使って、専門医の先生に私自身の診療を評価してもらう方法を考えたいと思っています。
経営的に成り立つこと
これまで国保の診療所など公的医療機関ばかりで勤務してきたので、赤字は当然と考えていました。特に高鷲町のように市の中心から離れた地域で医療を行うと、比較的少ない人口を対象としなければなりません。診療報酬が国によって決められている以上、経営的な困難さは容易に想像できます。私が開業するときに、昔の医師会長から「私ならそこでは開業しない。」と言われたこともあります。
それでも高鷲町で開業したのは、12年間国保診療所で働いてきたからです。地元を知り、人を知っています。それを宝として仕事をしたかったのです。
地域医療という言葉は響きが良いのですが経営的に成り立たないと継続はできません。地域医療やプライマリ•ケアという分野ではまだ、実践というより研究的な立場の人の発言が多いようです。そのような人の場合、地域医療をやってますよといいながら、実態は大赤字の経営となっていることがあります。赤字を出さずに地域医療を実践する姿勢が求められています。
継続的な医療
人と人との信頼関係の上に治療が成り立っていることを考えると、長く腰を据えて診療することは当然のことです。
国保高鷲村診療所で勤務していた私は、行政と協力し合いながら長く地域医療を実践する予定でした。ところが、私が地域医療の模範として研修に行ったことのある郡内の国保病院長が、定年を機に辞めさせられる事件がありました。まだまだ現役で頑張れる歳ですし、長く地域の人と交わってきた実績もあります。それなのになぜ?
都会の病院では退職後近くで開業することができます。しかし田舎では違って、病院を退職したあと地元に残ることはできません。それは人口が少ないので複数の医療機関が並存できないからです。そのため長年地元の人との交流で築いてきた財産を泣く泣く手放すことになります。その元院長も岐阜市に出て見ず知らずの人の検診業務に携わることになりました。
その事件の顛末を見て、私は開業を決意しました。このまま国保診療所で勤務しても定年を機に退職させられるかもしれない。地元の人と築いてきた繋がり、きずな、が無駄になってしまうことが予想されたのでした。
そこで平成19年に、あえて開業しました。
その決断は正しかったことが最近また裏付けられました。やはり国保の市内病院の先生方が、定年を機に辞めさせられたのです。地元で開業するわけにいかず、4人の先生が皆、これまでライバルと言われていた近くの民間病院に転職されたことは、地元でもよく知られた事件でした。
若者を登用するという意義があったとしても、地元で長く働いてなお働ける医師を辞めさせ、外からローテーションを前提とした若い医師を採用するというのは、私の考える地域医療からは離れた姿です。
経歴
昭和31年 | 高知県に生まれる(本籍は熊本) |
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昭和50年 | 愛知県立旭丘高校卒業 |
昭和57年 | 自治医科大学医学部卒業(栃木県) 愛知県衛生部に所属し、愛知県北設楽郡の国保東栄病院派遣(内科) |
昭和59年 | 自治医科大学附属病院派遣(研修医) |
昭和61年 | 愛知県南設楽郡の国保作手村診療所派遣 |
昭和63年 | 大府市の国立療養所中部病院派遣(心身症、神経難病) |
平成元年 | 自治医科大学地域医療学教室派遣 |
平成2年 | 同教室助手 社団法人地域医療振興協会理事 |
平成3年 | 愛知県額田郡額田町立宮崎診療所派遣 |
平成4年 | 愛知県衛生部退職 額田町国保宮崎診療所初代所長 自治医科大学地域医療学非常勤講師 |
平成5年 | 額田町保健センター顧問(兼務) |
平成6年 | 岐阜県 国保高鷲村診療所 所長 高鷲村健康管理センター長 自治医科大学地域医療学講師 社団法人全国国民健康保険診療施設協議会地域医療部会委員委嘱(2年間) |
平成7年 | 社団法人地域医療振興協会理事退職 |
平成8年 | 社団法人全国国民健康保険診療施設協議会広報部会委員委嘱(2年間) 岐阜県国民健康保険診療施設協議会副会長(平成18年まで) |
平成11年 | 高鷲村 診療所・保健福祉課統括(平成14年まで) |
平成13年 | 自治医科大学地域医療学教室講師退職 |
平成18年 | 郡上市国保高鷲診療所退職 特定医療法人白鳳会 鷲見病院内科 医療法人高鷲会設立 理事長就任 社団法人郡上市医師会理事 就任(終了) |
平成19年 | 医療法人高鷲会 つるだクリニック開業 |
資格履歴 ※現在は使用していない資格も含まれます。
昭和57年 | 医師免許取得(医籍番号264453号) |
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平成2年 | 日本内科学会認定内科医(認定番号66207) |
平成7年 | 日本プライマリ・ケア学会認定医(認定番号94-175) |
平成10年 | 日本プライマリ・ケア学会研修指導医(認定番号98-412) 日本医師会認定産業医(第9702655号) 日本医師会健康スポーツ医(第9800066号) |
平成11年 | 全日本スキー連盟公認ドクターパトロール 介護支援専門員(747号) 日本体育協会公認スポーツドクター(登録番号 第99082号) |
平成16年 | 医政発第0318008号 地域医療志向型研修指導医講習会修了 |
平成17年 | 日本医師会ACLS(二次救命処置)研修修了(登録番号10501505) |
平成18年 | 日本内科学会認定内科専門医(認定番号12246) |